なんか別のこと書くつもりだったんだけど他人にわからないように小言

重たくて多機能なディストリビュージョンに移行することでマシンや本を買わせることと同じ様に、C#にしてもVB.NETにしても新しい技術を次々出すのって開発の効率化以上に開発のための製品や知識を売るという面も当然あると思っている。


プログラム開発技術の習得が投資というのは誰でもわかる事だけど、もう少し具体的にしてみたい。


投資というとすぐ思いつくのが株。数年前、株を発行するのは金を刷るのと同じだからどんどん発行しようとある社長が言っていた。でも実際はお金ほどの信用はなくて、何もないところに価値が生まれて、小さかったそれにあるとき不特定の人間が価値をドンッと置いていっただけだ。
このドンッという音が重要で、音が大きければ大きいほど人の注目を浴びる。
そして注目する人の中にはその価値に引き寄せられる人間と訝しく思う人がいる。
いずれにせよ関わろうとする人間が増える事で、次のドンッが来るのに時間はかからない。
これは株の価値とリスクが高くなるという事。この価値とは購入者の手数料だ。


製品の開発効率向上などいろいろ考えられて技術は開発されるが、自らの利益にならないものを作ろうとはしない。
利益のためにはコスト(時間)はかけたくない。技術を多くの人に使ってもらう。できればドンッと。
という風になればそれを使う側のリスクは高くなる。もちろん手数料も。

そうやって見たとき、リスクの高い商品を買ったほうがいいのか。リスクの低い商品を買ったほうがいいのか。
金融商品であれば、リスクが高いという事はリターンが大きいということで、利益が大きいから手数料分も元を取れる可能性が大きい。

ただ、ハイリスクな投資をする人にある見えないハンデとして精神的プレッシャーがある。このプレッシャーの大きさというのは投資してみないとわからないところがあって、いざハイリスクな商品を購入するとプレッシャーに負けて効率的な運用ができない可能性がある。
そこで時間効率を犠牲にして低リスクな商品を買うという選択肢が出てくる。プレッシャーに耐えられるなら問題ないが、それができないなら当然リスクの低いものも選択する。分散投資だ。

これは技術の習得も同じで、他の投資方法と相対的に見て、ちゃんとリターンが得られていなければプレッシャーを感じるし、投資を分散させるというのは当然の行為だと思う。

技術を作るというのは作るのにも技術がいる。価値として金額を付与するというのは金額を付与されることにも価値がある。

卵が先か鶏が先かという点で言えば、お金とその変動価値が一定の決まりの中でループするのに対して、プログラミング技術は終着点があり、卵か鶏のどちらか一方。ただ進んでいく方向性は無限にある。その分岐の一端にかじりついてもプレッシャーに負けてしまう気がする。


コンピュータの技術は権威や暴力とはまったく別個だけど、お金に還元せずにあらゆるものに干渉することができる意味では同じだと思う。そういう可能性に安心しているからくじけずに投資が続けられている。

そういう価値観には誰も値札をつけたがらないだろうけど。